園のあゆみ
保育園として誕生してから45年が過ぎ、卒園児は1300人を超えました。
今は世代をつなぎ、卒園した園児が保護者として利用する歴史ある保育園になりました。
梅花の命名に込めた想いを実践し、地域の保育園として培った伝統と信頼関係がわたしたちの誇りです。
- 創立者・小林多賀子が自宅で1人の赤ちゃんを預かったことから私たちの歩みは始まりました。産休明けから赤ちゃんを預かる場所として当時は希少な存在でした。昭和39年のことです。
- おうちの中はコトコトと煮えるおでんやお豆・ふかし芋など湯気や香りにあふれていました。ぬくもりのある陽射しと和やかなやりとり。小林多賀子の家庭の延長に保育がありました。
- 認可保育所としての出発。昭和44年のことです。
梅の花を愛した創立者・小林孝三。他に先駆けて凛とした姿で咲く梅の花に子育ての理想を込めて、梅花保育園と名称されました。 - 子どもは逞しく育てる。近くの山での冒険・川に行ってのどじょうすくい。自然の中での体験が保育の中に企画されていました。
子どもの表現活動を伸ばしたい。リトミックや器楽への取り組みはこの頃から始まっていました。 - 現在も形を残す園舎が誕生したのは昭和60年のことです。総合遊具「ばいか号」・園庭の大きなプール・長いスロープなど今はないものもありますが、遊びの思い出と保育の研鑽を生み、時代ごとに進化してきました。
若かった園庭の欅も今では庭いっぱいに枝を張っています。 - 昭和56年、NHKで放送された「子どものからだは蝕まれている」という番組に衝撃を受け、身体を育てる取組みが本格化しました。
土踏まずの検査・視力・聴力…。さまざまな角度から子どもの成長を見守る独自の健康診断が生まれました。 - 運動会に生活発表会。お誕生日会にお楽しみ会・バザー。年末恒例のもちつき大会。
園外へ出かけての芋ほり遠足やいちご狩り・そりすべりにお泊り保育。たくさんの楽しい行事と企画がありました - 発達を目に見えるかたちで表したい。ポーテージ早期教育プログラムとの出会いによって、1人1人の発達をトータルでみることができるようになりました。
入園してから卒園するまで、保育士が個々の発達を記録する発達経過表や「成長の記録」。
1人1人の課題にそくした関わり方も意識されるようになりました。 - 一時保育事業や子育て支援事業。園児以外の地域の子育てを支援する取り組みも始まりました。
また、放課後児童クラブの誕生によって、乳児から小学校の児童までを預かることのできる施設になりました。
地域の子育て家庭をトータルに支援できる保育園として、はたらきはどんどん広がっていきました。